L. ロン ハバード | 年表
映画脚本
1930年代のハバード氏の作品について一般に言われていたことは、彼のまさに驚くべき多才ぶりと制作の速さでした。スタンダード・マガジン誌の編集者、ジャック・シフはこう説明しています。「もし月曜日に短編小説が必要なら、金曜日にロン ハバードに電話すればいいのさ。」彼の言ったことは決して大げさではありませんでした。常にひと月10万語に及ぶ執筆を行ったハバード氏は、筆の速い作家たちの中で文句なしの帝王となりました(しかも、創作活動は週にたったの3日、主なジャンルのすべてにわたっていました)。
同時期、L. ロン ハバードはまた多数の映画脚本を制作するハリウッドの映画脚本家としても知られていました。手掛けた作品には、コロンビア映画の『謎のパイロット』、『荒くれビル・ヒコックの大冒険』があり、ワーナー・ブラザーズの『スパイダー』シリーズもまた有名なものでした。一方、『宝島の秘密』は、当時、最高の興業収益を生む連続物のひとつでした。彼が映画界に貢献していたのは、ハリウッドでの1930年代だけに限られたことではありません。実際、70年代、80年代を通じた彼の晩年の作品には、さまざまなジャンルの映画脚本がいくつか見られます。
ジャンルの再形成
彼の生み出した作品は、極めて多岐にわたり、膨大なものでした。とはいえ、SFの形態を変え、またファンタジーに刻み込まれた永久に消えることのない彼の功績を考慮に入れなければ、アメリカの30年代のフィクションにおけるL. ロン ハバードの役割を論じ尽くしたことにはならないでしょう。
時は1938年、L. ロン ハバードの名前はまだ必ずしも誰もが知っている、というほどではなかったとしても、スリリング・アドベンチャー誌や月刊 5つの小説の表紙にその名前が載った途端に、販売部数は間違いなく跳ね上がりました。(彼がさまざまなジャンルにわたって用いた、数多くのペンネームについても同じでした。)まさにその人気に乗じようと、大手出版社のストリート&スミス社が、ハバード氏に援助を求めてきました。新たに版権を得たアスタウンディング・サイエンス・フィクション誌を練り直してほしい、と言うのです。ハバード氏は、そのジャンルを特に精通していたわけではありませんが、その申し出に興味を引かれました。アスタウンディング誌がこれまで焦点をあてていたのは、宇宙船や光線銃、ロボットといった、現実にはありそうにもないものばかりでした。しかし、ストリート&スミス社は、雑誌はより人間味のあるものでなくてはならない、現実味のある登場人物、つまり「生身の人間」がいなくてはならない、という判断を下したのです。
その結果生まれたのが、SFの仲間内で永遠に語られることになった、一連のフィクション作品でした。その中には、絶賛を浴びたもの、ハインラインが「これまでに書かれたSFの中で完璧と言うに値する作品」と評した、『ファイナル・ブラックアウト』も含まれています。また、ストリート&スミス社と契約を交わしたことにより、L. ロン ハバ-ドはファンタジーのジャンルに手を出すことになり、その時期の転機となる作品として、『フィアー』が生まれています。彼の民族学的な調査から生まれた『フィアー』は科学と迷信の対立を語ったもので、ホラーの巨匠スティーブン・キングまでがこう述べています。「忍び寄る超現実的な脅威と恐怖を描いた第一級の作品である。ともすれば使い過ぎになりがちな『第一級』という形容詞がまさしくふさわしい、数少ないスリラー小説のひとつだ。」